引っ越しからこっち、暇があれば家具や調度の類を作り、建具のつけ替えや手直しをしている。オリジナルで自分の使い勝手に合わせたものを作ることは自己表現としても満足を得やすいもので、『ハマッている』と言ってよい境涯にある訳だが、ふと、使用目的や制作意図のはっきりしないような、「何を言いたくてこんなもの作った?」といわれるようなものを作ってみたいと欲したりするのだ。
日常我々が出会うすべての物はそれを用いる人間に対して、それが何の為の物であるかをその形状、材質において我々人間に開き示している。人はそれがしかじかの目的のためにあるのだと理解して安心し、その物事に対して気を許す。反対にそういった文脈からはずれたあり方の存在者は我々にとってはstrangeな存在となる。
日常性の道具的連関の中に自己を埋没させることが『頽落』であり、現存在の本来性においては道具的存在者としての連関から切り離された奇異の衣を纏って世界が、そしてまた自己が立ち現れてくる。この立ち現れこそが、統合失調症が病者を襲うその瞬間なのではないか。
道具性の連関から切り離された、『無意味』ななにものかを作りたいと思ったのは、その瞬間を固定し形を与えようとしているということであり、統合失調症の立ち現れに臨んでもそれに取り込まれることなく、距離をとれていること、『超え出ている』こと、すなわち発症準備性を克服していることを(『好発年齢』という生物学的見地からは言わずもがなの事ながら)示しているのかもしれない。
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| 奇妙で無意味に見えるもの。場合によってはそれをゲージュツと呼ぶ人もいるかもしれない。 |
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| 服を引っかければ『ハンガー』という役割を与えられ、日常性の道具連関の中に居場所を得る。 |


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