35年前
ヴァイオリンを弾いていた
この世界と関わってゆくための
武器も技術も持ち合わせることなく
ひょっとすると音楽も愛しているわけではなかったのかもしれない
楽器が上手くなりたいとしんそこ思っていたとすれば
もっと賢いやり方をとっていた
酒など呑んでいるヒマに練習を積み重ねていれば
少なくともその分は上手くなっていただろうから
たぶん
まだ何ものをも自分のものとしておらず
可能性
すなわち
しっかりした目的意識のもと日々の積み重ねを続けてゆけば
いつかは何事かをなし得るかも知れないという
不確実性
だけが与えられていて
その不確実さに堪え得るほどの自我さえも
まだ持ち合わせていなかったがためのもどかしさやいらだちを
楽器にぶつけていたんだろう
端正な音楽を奏でたければレコードを鳴らしときゃあいいんだから
とうそぶいていたのも
そんな背景からだったのかと思う
もがき
あがく自分をその視野に入れつつ
ただ
目の前にあるひとつひとつのリズムを刻み続けることだけが
成就に至る方法であることを示した人の指揮で
また
ヴァイオリンを弾いた
響きの洪水に埋もれた
セカンドバイオリンの末席にいて
ジャカジャカと単調なビートを掻き鳴らしながら
他パートの奏でるメロディーに気持ちを合わせる
そんな自分のありようが
うつし身の
世にあって
花形でもなく名人でもなく
名も無き一個の歯車として
汗かき仕事に埋もれ
それでも
精一杯に自分の歌を歌い上げようとしている姿に重なることを
啓示の如く感得し
自分のことながら
そのけなげさ
いじらしさに
あやうく落涙をこらえたのは
やはりかの人の指揮の故か
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